水車場跡
水戸藩第9代藩主 徳川斉昭は、海防の要を唱えて、大砲鋳造を目的として吾妻台(現ひたちなか市栄町1丁目)に反射炉を建設し、そこで円柱状の砲身を鋳造した。
反射炉で鋳造した砲身は、那珂川沿岸のこの地(柳沢)に運ばれ、水車を動力として砲身の中心に穴を開ける作業が行われた。これが水車場という名前の由来となっている。
安政2年(1855年)に着手し、巾12間(約21m)、奥行7間(約13m)で翌3年に完成した。
十数門を穿孔したといわれているが、元治元年(1864年)の元治甲子の乱で破壊焼失してしまった。
【現地案内版より】
住所 茨城県ひたちなか市柳沢1366−6