宗徳寺
大道寺繁禎・・・弘前藩家老。弘前藩権大参事。議員。実業家。弘前市立図書館長。
文久2年(1862年)家督1200石を継ぎ、手廻組頭、学校総司、側役などを経て慶応4年(1868年)6月家老に就任。
戊辰戦争の際には青森口軍事総轄を務める。明治2年、藩主名代として上京し版籍奉還を奏上。
維新後は弘前藩権大参事、青森県第三大区長、第五十九国立銀行頭取、県会議長3回、中津軽・南津軽郡長、弘前電燈社長、弘前農具会社(現角弘)設立。弘前市立図書館長などに就任。
天保15年(1844年)6月10日出生。大正8年11月23日狭心症で死去。
西館翫水・・・弘前藩家老。弘前藩大参事。
藩用人 高倉盛儀の二男。西館文之助の養子。藩主 津軽承昭に重用され藩政改革、兵制洋兵化を進め慶応元年(1865年)に家老に就任。
京都出役 西館孤清の活動によって藩主 津軽承昭が官軍支持に方針を変えると、津軽承昭の意を受け家中の説得にあたり藩論を勤王に統一。
明治2年、入れ札によって弘前藩大参事に就任。明治4年廃藩置県とともに大参事を辞任し、明治11年に上京して退隠生活を送る。
天保5年(1834年)出生。明治13年10月29日死去。
一町田大江 朝貞・・・弘前藩勘定奉行。
高岡祭司 一町田左門朝行の嫡孫。目付、町奉行、勘定奉行を歴任。戊辰戦争の際には秋田、米沢、仙台3藩への副使節、奥羽鎮撫参謀転陣の応対役。
南部藩領小坂口の戦い、函館戦争に従軍して慰労金50円を受領する。 維新後は県吏員として郡長などに任命される。
天保10年(1839年)出生。明治42年8月2日死去。
杉山龍江 成知・・・弘前藩家老。函館戦争軍事総督。弘前藩権大参事。西南戦争応募兵隊長。
藩学問所総司 杉山貞五郎の長男。禁門の変に家老代で上洛。明治元年に家老就任。戊辰戦争では庄内派遣軍総督。西軍の入国を拒み碇ヶ関口を封鎖。
函館戦争には軍事総督として従軍。明治2年に弘前藩権大参事に就任。西南戦争には応募兵隊長として上京。青森県中、北、南津軽郡長を歴任。
天保12年(1841年)出生。明治28年9月2日死去。
住所 青森県弘前市西茂森1丁目12−3
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大道寺繁禎 |
大道寺繁禎 右面 |
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大道寺繁禎 墓碑 |
大道寺繁禎 |
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西館翫水 |
一町田大江 |
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一町田大江 裏面 |
一町田大江 |
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杉山龍江 |
杉山龍江 右面 |
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杉山龍江 左面 |
杉山龍江 裏面 |
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杉山龍江 |
宗徳寺 |
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