私学校跡
明治6年10月、征韓論に破れて下野した西郷隆盛や桐野利秋、篠原国幹などが鹿児島城(鶴丸城)厩跡に私学校を設立。
私学校本校には篠原国幹が銃隊学校、村田新八が砲隊学校を監督しており、城下に12校、県下に136の分校を設立し若者たちを教育した。
明治10年の西南戦争では鹿児島争奪戦で西郷軍と政府軍の激戦地となり、当時の弾痕跡が石塀に多数残っている。
住所 鹿児島県鹿児島市城山町8−1
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私学校跡 |
鹿児島大学医学部附属病院跡記念碑 |
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私学校跡の石塀 |
私学校跡の石塀 |
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私学校跡の石塀 |
私学校跡の石塀 |
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私学校跡 案内 |
西南戦争の銃弾跡 案内 |
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