正徳寺
この門は安政7年(1860年)に水戸藩典医の久保田宗仙が屋敷門として建築したもので、昭和46年に久保田家とその有縁者の為、当寺に移築、寄進された。
幕末、元治甲子の乱(天狗・諸生の戦い、1864)の際、門の右袖の一部を焼失した。また門柱の中央に弾痕といわれる跡があり戦の激しさを今に伝えている。
構造は棟門造、組立、箱合せ等の釘無建築で門扉やくぐり戸は榧でできており寸分の狂いも無い。
元治甲子の乱により市内の古い建築物の大半が失われた当市にとってこの門は、当時の建築様式を伝える貴重な建造物である。
瓦は昭和47年に葺き替えられたが原型の鬼瓦、及び役瓦の一部は当寺に保存されており、棟札には棟梁「梅吉」と記されている。
【現地案内版より】
住所 茨城県ひたちなか市館山9002
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正徳寺 |
正徳寺の門 |
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正徳寺の門 弾痕跡 |
正徳寺の門 案内 |
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