声体寺
吉川忠安・・・秋田藩士。惟神館で国学と洋式砲術を教える。慶応2年(1866年)に小野崎通亮らと雷風義塾を創設して砲術頭取となる。
明治元年7月3日夜の勤王派決起を指導し、戊辰戦争中は軍務局主任、兵具奉行他を兼務して作戦指導、武器弾薬供給などの任にあたる。
戊辰戦争後は権大参事、参政などを歴任したが八坂丸事件で下野。文政7年(1824年)閏8月28日出生。明治17年10月9日死去。
吉川勇五郎 忠行・・・秋田藩銃士。明治元年9月15日羽後境村で戦死。28歳。
住所 秋田県秋田市保戸野鉄砲町3−44
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吉川忠安 |
吉川忠安 裏面 |
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吉川忠安 |
吉川勇五郎 |
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吉川勇五郎 裏面 |
吉川勇五郎 |
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声体寺 |
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