勝光寺

大川平三郎の胸像が建てられている。

大川平三郎・・・実業家。
祖父は川越藩剣術師範 大川平兵衛。妻は渋沢栄一の娘。
明治5年の13歳の時に東京に出て渋沢栄一の書生となり、渋沢家の家事や雑用をしながら大学南校で学ぶ。
明治8年に抄紙会社(初代、王子製紙)に入社。外国人技師の技術を習得し機械技術を研究して日本人初の製紙技師となる。
海外留学などを経験し、抄紙会社の要職を務めていく。明治31年に三井財閥が経営権を握ったため初代、王子製紙を退社。
その後は、四日市製紙、九州製紙、中央製紙、木曽興業、、中之島製紙、樺太工業、富士製紙などの経営に関わり、
大川平三郎が関わる製紙会社が国内シェア45%を握る程となり「日本の製紙王」と呼ばれ、製紙会社以外にも80社ほどの企業経営に関わり大川財閥を築き上げた。
万延元年(1860年)10月25日誕生。昭和11年12月30日死去。

住所 埼玉県坂戸市横沼361
地図
大川平三郎 胸像 大川平三郎 胸像
大川平三郎頌徳碑 大川平三郎 胸像
勝光寺