白髭神社

岩瀬忠震・・・旗本。外交官。
旗本 設楽貞丈の三男として江戸芝愛宕下で誕生。天保11年(1840年)5月に岩瀬忠正の婿養子となり家督を継ぐ。
天保14年(1843年)昌平坂学問所大試乙科に合格。嘉永2年(1849年)西丸小姓番士となり、同年11月に徽典館学頭を命じられ嘉永3年(1850年)甲府へ行く。
嘉永4年(1855年)江戸へ戻り昌平坂学問所教授となる。嘉永7年(1854年)目付に抜擢され、後に勝手掛、海防掛となり安政2年(1855年)ロシア使節プチャーチンと交渉し日露和親条約を締結。
安政5年(1858年)米・蘭・露・英・仏と修好通商条約に署名。同年7月8日、外国奉行に就任するが、大老 井伊直弼と敵対し9月5日に作事奉行へ左遷。
安政6年(1859年)8月27日に蟄居処分となる(安政の大獄)以降は向島の別荘 岐雲園で余生を過ごした。
文政元年(1818年)11月21日誕生。文久元年(1861年)7月11日死去。

鷲津毅堂・・・尾張藩儒者・官吏・漢学者。
尾張国丹羽郡丹羽村の郷士の家に生まれ、江戸へ出て昌平黌で学ぶ。
慶応3年(1867年)尾張藩校明倫堂督学に任じられ、慶応4年(1868年)新政府の総裁局徴士になる。
大学校少丞、登米県権知事を経て司法省宣教判官となり、東京学士会院会員として学界にも寄与する。
文政8年(1825年)11月8日誕生。明治15年(1882年)10月5日死去。

住所 東京都墨田区東向島3丁目5−2
地図
岩瀬忠震の墓碑 岩瀬忠震の墓碑 案内
鷲津毅堂の碑 鷲津毅堂の碑 案内
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