篠原国幹誕生地

篠原国幹が天保7年(1837年)12月5日に誕生した地。

篠原国幹・・・薩摩藩士。陸軍軍人。薩摩藩一番大隊長。
通称は冬一郎。文久2年(1862年)寺田屋事件に関与し謹慎。
慶応4年(1868年)の戊辰戦争には薩摩藩城下三番隊長として鳥羽伏見の戦い、上野戦争、会津戦争に出征。
明治4年に上京し陸軍少将に就任。明治6年、西郷隆盛に従い下野し鹿児島で私学校銃隊学校監督となる。
明治10年の西南戦争では薩摩藩一番大隊長として出征し明治10年3月4日吉地峠の戦いで銃弾を受け戦死。
天保7年(1837年)12月5日誕生。明治10年3月4日戦死。

住所 鹿児島県鹿児島市加治屋町9−8 の向い
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篠原国幹誕生地