下野隼次郎
下野隼次郎・・・水戸藩士。
弘道館訓導を兼ね彰考館編修となる。安政5年(1858年)8月8日の戊午の密勅降下に奔走する。
文久2年(1862年)1月15日に起きた坂下門外の変を原市之進や大橋訥庵と計画する。
同年、一橋慶喜に従い京都へ行き諸藩の尊王攘夷論者と親交を深める。後に藩主 徳川慶篤に従い江戸へ戻り江戸藩邸で藩政改革に尽力。
元治元年(1864年)水戸藩内訌の際には藩主名代 徳川頼徳に従い水戸へ向うも入城を拒まれ、援来した天狗党と共に諸生党と戦い10月に降伏。
岩槻藩に預けられ死罪となる。
文政6年(1823年)誕生。元治2年(1865年)4月4日死去。
住所 茨城県水戸市松本町13−34
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下野隼次郎(2012年1月) |
下野隼次郎(2012年1月) |
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