敷根火薬製造所跡
文久3(1863)年、薩摩藩によって鹿児島市を流れる稲荷川沿いの滝之上にあった本局の分局として設置された。
工場の動力として水車が用いられ、また火薬の原料となる硫黄は硫黄島以外にも地元の霧島さんも利用された。
この工場で生産された火薬は、西南戦争に際しては薩軍に利用されると危険性が増すということで、
明治10(1877)年3月10日に軍艦「春日」の艦長ら上陸により破壊されることになる。
【現地案内板より】
住所 鹿児島県霧島市国分敷根1407 周辺
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敷根火薬製造所跡 |
敷根火薬製造所跡 案内 |
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敷根火薬製造所跡 |
敷根火薬製造所跡 案内 |
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