瀬脇台場跡

薩摩は外敵に備え嘉永4年(1851年)ここ塩入瀬脇と辺田原の台場に砲台を築き砲一門ずつを配備した。
文久2年(1862年)に生麦事件が起こると急いで原台場とともに拡張構築をした。
文久3年6月英艦七隻が鹿児島湾に侵入(薩英戦争)してきたため大姶良郷、田代郷からも出兵し
小根占郷士以下170余名がこの瀬脇台場に大砲、小銃などを据え来攻の準備をしたが交戦発射の機会はなかった。
【現地案内板より】

住所 鹿児島県肝属郡南大隅町根占川南1183 周辺
    地図
瀬脇台場跡 瀬脇台場跡 案内
台場跡 入口