千秋藤篤

千秋藤篤・・・金沢藩士。
通称は順之助。加賀藩士 千秋範為の次男として生まれ、藩校明倫堂で学び天保10年(1839年)明倫堂訓導に就任する。
天保12年(1841年)江戸の昌平黌に入り後に舎長を務めた。弘化2年(1845年)藩校明倫堂助教となり、嘉永年間には藩主子弟の侍講を務める。
安政年間には江戸藩邸で御守殿番加人を兼ね、時勢の政治を批判し尊王の志が深く、天皇復興に関わる事を生涯の願いとしていた。
文久元年(1861年)頃に「治穢多之議」を著し人間平等を主張している。
元治元年(1864年)禁門の変で藩主の撤退を進言し帰途の小松で逮捕され金沢の竹田掃部邸に拘禁されたのち切腹を命じられた。
文化12年(1815年)8月30日誕生。元治元年(1864年)10月18日死去。

住所 東京都府中市多磨町4丁目628 多磨霊園 22区1種101側
地図
千秋藤篤 千秋藤篤 左面
千秋家墓所