千妙寺

飯田軍蔵忠烈碑と西南戦争で戦死した和久井捨四郎、渡辺要吉を合祀した忠霊塔が建てられている。

飯田軍蔵・・・尊攘志士。
常陸国真壁郡木戸村の名主の家に生まれる。弘化4年(1847年)に水戸の加倉井砂山に入門し尊王攘夷の思想に接する。
後に尊王攘夷論を唱え東北を遊歴する。途中、小山で水戸藩士 藤田小四郎に出会い意気投合する。
元治元年(1864年)3月27日、幕府に攘夷鎖国を要求する為に藤田小四郎が62名の同志と筑波山で挙兵し飯田軍蔵も天狗党に参加する。
藩主名代 徳川頼徳が水戸へ向うも諸生党に入城を拒まれ那珂湊に退去し、天狗党も支援し諸生党と戦う。
同年9月25日の戦闘で負傷し鉾田で療養していた時に幕府兵に捕らわれる。
獄中で死去したが死体を諸生党が奪い同年12月20日に死体を磔られた。
天保5年(1834年)2月15日誕生。元治元年(1864年)11月23日死去。

住所 茨城県筑西市黒子214
地図
飯田軍蔵忠烈碑 飯田軍蔵忠烈碑
忠霊塔 忠霊塔
千妙寺