関吉の疎水溝

産業や大砲製造に使用する機械等を動かすには、大きな動力が必要です。しかし初期の集成館工場群にはまだ大型蒸気機関が導入されていませんでした。
そこで、吉野台地と磯地区の標高差で動力を生む水車が使用されました。下流川左岸の岩盤に見える縦長の溝は水をせき止めるための仕掛けの跡。
その左側に取水口の跡があり、貯まった水を疎水溝に送水していたことがわかります。

蒸気機関が本格的に導入されるまで、集成館の工場群で使用された主な動力は水車によるものでした。
そこで磯の別邸、仙厳園に水を供給するために築かれていた吉野疎水を再整備し、嘉永5年(1852年)に新たな水路を築いて集成館の工場群に工業用水を送る仕組みをつくりました。

稲荷川の上流は棈木川(あべきがわ)と呼ばれ、関吉では凝灰岩の渓谷によって一旦川幅が狭くなります。
ここで水をせき止めて一定量を取水し、疎水に送り込んでいます。疎水溝の一部は現在も灌漑用水として利用されています。
また、磯の集成館側では吉野台地から落とした水を懸樋(かけひ)によって水車に送り、大砲に穴を空ける動力に使ったり、別な水路の水を砂鉄選別などにも利用していました。
【現地案内板より】

住所 鹿児島県鹿児島市下田町1243 周辺
    地図
   関吉の疎水溝 関吉の疎水溝   
関吉の疎水溝 関吉の疎水溝
関吉の疎水溝 関吉の疎水溝 案内
関吉の疎水溝 案内