関鉄之介
関鉄之介・・・水戸藩士。
安政2年(1855年)北郡奉行所与力となり、安政3年(1856年)北郡務方を勤める。
安政5年(1858年)尊王攘夷の決起の為、矢野長九郎らと北陸、山陰を遊歴し、京都へ向かい井伊直弼の排除を密奏しようとしたが失敗し帰国後に禁錮となる。
前年より井伊直弼暗殺計画を練っていたが、安政7年(1860年)2月18日に水戸を脱して江戸へ向かう。
同年3月1日に江戸日本橋の山崎屋で会合を行い、関鉄之介は桜田門外の変の総指揮を執る事となる。
3月3日の桜田門外の変後の3月5日に京都へ向い江戸を出発したが幕府の探索が厳しく 山陰、山陽、四国、九州と西国を転々とし、
万延元年(1860年)7月に水戸藩袋田村の桜岡源次衛門に匿われた。
水戸藩領でも探索が厳しくなり越後の湯沢温泉(現在の関川村)に潜伏していた所を捕えられ江戸小伝馬町へ護送され斬首となった。
文政7年(1824年)7月10日誕生。文久2年(1862年)5月11日死去。
住所 茨城県水戸市松本町13−34
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関鉄之介(2012年1月) |
子 関誠(2012年1月) |
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関鉄之介(2012年1月) |
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