政秀寺墓地(平和公園)

黒川治愿・・・土木治水技官。
美濃国厚見郡佐波村の庄屋 川瀬文博の次男として生まれる。明治元年(1868年) 京都に遊学。 明治2年(1869年) 仙洞御所に出仕し同年に御所御用人 黒川敬弘の養子となる。明治4年(1871年) 御所を退く。
明治5年(1872年) 香川県吏。明治6年(1873年)名東県吏。明治8年(1875年) 愛知県吏となり土木事務に従事。明治10年(1877年)10月、矢田川までの区間が竣工。黒川治愿に因んで「黒川」と呼ばれる。
明治13年(1880年) 初代土木課長に就任。明治11年(1878年)東海道豊川の豊橋損壊に伴う仮橋架橋で宮内省より賞を受ける。
明治17年(1884年) 名古屋区長らとともに、鉄道ルートを中山道案から東海道案へ変更するよう陳情し決定を得る。
明治18年(1885年) 愛知県技師を退官。明治20年(1887年)7月、愛知県一等属を拝命するが、翌8月に病のため依願退官。
弘化4年(1847年)4月15日誕生。明治30年(1897年)5月29日死去。

国貞廉平(直人)・・・長州藩士。愛知県令。
明治3年(1870年)に直人から廉平に改名。長州藩士 国貞要助の嫡男として生まれる。藩校明倫館で学ぶ。元治元年(1861年)に長州藩で起きた元治の内乱では鎮静会議員として収拾にあたる。
慶応2年(1866年)干城隊頭取、国政方を務める。同年の四境の役では和議を担当し成立させる。慶應3年(1867年)12月、参謀として京都へ上る。明治2年(1869年)に山口藩参政となり、のちに権大参事に就任。
明治7年(1874年)内務省に出仕。明治13年(1880年)3月8日、愛知県令となり在任中に肺炎で病死。
天保12年(1841年)3月22日誕生。明治18年(1885年)1月18日死去。

住所 愛知県名古屋市千種区平和公園1丁目
地図
黒川治愿 黒川治愿
国貞廉平 国貞廉平 左面
国貞廉平 平和公園墓地案内図