薩英戦争本陣跡
文久2年(1862年)8月におこった生麦事件は、その犯人の処分や賠償金の処理問題で交渉が難航し、とうとう翌年7月イギリス艦隊が来襲して戦争になりました。
当時ここは万福山千眼寺であったが、鶴丸城が海岸に近く敵弾の飛来する恐れがあったので、久光、忠義(島津家第29代当主)父子はこの寺に本陣を置いて総指揮をとりました。
その後千眼寺は慶応2年(1866年)以降の廃仏毀釈によって壊され、今は井戸と智福和尚の像などが残っているだけです。
【現地案内板より】
住所 鹿児島県鹿児島市常盤2丁目4−2