三方限出身名士顕彰碑
鹿児島の城下では、城下士の居住地をいくつかの地域に分けて、それを方限といいました。方限は郷ともいい、郷ごとに作られた青少年の教育機関を郷の相中、
略して郷中と呼ぶようになったのです。したがって郷中方限といえば現在の学区にあたります。
薩摩藩は郷中での子弟教育に独自の仕組みを取り入れ、子供たちを幼少の頃から厳しく躾けました。
「十八交りを結ぶ健児の舎」という頼山陽の詩は、当時18あった郷中の姿を伝えています。その中で高麗、上之園、上荒田の三方限は加治屋町方限と並んで、
幕末から明治にかけての偉人を数多く育てた事で知られています。
昭和10年これら偉人たちの業績を顕彰するため顕彰碑が建てられました。碑文は文豪徳富蘇峰が書いたものです。
三方限出身名士一覧
西郷隆盛 西郷小兵衛 伊地知幸助 高島鞆之助 渕辺高照 伊集院兼寛 長澤鼎 奈良原繁 井上良馨 関勇助 河野主一郎 田中十太郎
町田次郎四郎 岩元平八郎 永山弥一郎 辺見十郎太 西郷吉次郎 大久保利通 篠原国幹 吉井友実 松永清之丞 吉田清成 山沢静吾 種子田左門
野津鎮雄 有村雄助 伊集院彦吉 仁礼景範 中原猶介 山之内一次 法亢宇左衛門 山之内作次郎 西郷従道 伊地知正治 三島通庸 大山綱良
讃良清蔵 江夏仲左衛門 奈良原喜左衛門 山口金之進 野津道貫 有村次左衛門 益満行靖 川村純義 浅江直之進 西寛二郎 辺見仲太 有馬一郎
【現地案内板より】
住所 鹿児島県鹿児島市高麗町36−32
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三方限出身名士顕彰碑 |
三方限出身名士顕彰碑 案内 |
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三方限出身名士顕彰碑 |
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