桜山護国神社

戊辰戦争で奥羽越同盟に背いた秋田藩の意をただすため、盛岡藩が藩境を超えて進攻したのは、慶応4年旧暦8月9日のことである。
この戦いに鹿角郡でも多数の殉難者を生じ、爾来、戦没者の追善供養をするために年弔祭を重ねてきた。
明治23年、二十三回忌の法要に際して追悼の素志を貫くため、鎮魂碑の建設を決め、更に二十七回忌法要において、旧領主南部家の宗廟である盛岡桜山神社の分霊を、
この北館に勧請し境内に戊辰戦死者記念碑を建て、常に社前君側に列するの栄誉をもって、地下の霊魂を慰むることとし、分社許可を得て、
明治30年5月29日、分社遷宮祭、三十日招魂祭を盛大に挙行し、ここに桜山神社と鎮魂碑が竣功したのである。
【現地案内板より】

戊辰戦争時、鹿角市は南部藩(盛岡藩)の領地でした。
住所 秋田県鹿角市花輪荒屋敷51−1
地図
桜山護国神社 鎮魂碑
桜山護国神社 案内