坂本龍馬新婚の旅碑
「王政復古の暁には、汽船を一隻造らへて日本の沿岸を廻って見ようか?」と龍馬はお龍の肩に手を置いて言いました。鹿児島に向かう薩摩藩船三邦丸での1シーンです。
1866年(慶応2年)1月21日、苦心の末薩長同盟を成立させた坂本龍馬は、宿舎の寺田屋で幕吏の襲撃を受けて負傷、西郷隆盛の勧めに応じて薩摩への湯治旅行となったのです。
西郷隆盛、小松帯刀、吉井友実、桂久武、それに龍馬の妻お龍も乗船して大阪を出帆。3月10日鹿児島に入港しました。
仲睦まじい龍馬夫妻は日当山から塩浸、栄之尾と温泉を巡り、谷川で釣りをしたり、ピストルで鳥を撃ったり、ミヤマキリシマが一面に咲く高千穂に登り、天の逆鉾をひきついたり、まさしくハネムーン気分を満喫しました。
土佐の海援隊を作り、薩長を結び付けた明治維新最大の功労者の一人坂本龍馬は、この平和な薩摩下りからわずか1年半後、京都近江屋で暗殺され、王政復古の暁を見る事無く33歳の生涯を閉じたのです。
【現地案内板より】
住所 鹿児島県鹿児島市天保山町13−15
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坂本龍馬新婚の旅碑 |
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坂本龍馬新婚の旅碑 案内 |
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