西郷南洲野屋敷跡

明治6年(1873年)11月、鹿児島へ帰ってきた西郷は「武村の吉」と名のり農業をはじめましたが、ここ西別府にも屋敷があり瓦葺きの家を建て耕作にいそしんだということです。
この地にある碑には「藩政時代、城下小禄の士に対し藩庁より郊外に抱地(かけち)と称して、山野耕地を与え、自作開墾をさせ、即ち古の半農藩士遺法なり。
西郷南洲翁も郊外西別府に抱地を有し、余暇にこの地に来りて自ら耕作に従えり」とあります。

ここは西郷隆盛が青年時代(別名:吉兵衛、吉之助)困窮した家計を助けるために開墾してサトイモや甘藷(サツマイモ)をうえた農地がまわりにあり、
西郷がよく一人で滞留していたところです。(屋敷といえば広大な邸宅を想像しますが6畳、3畳、4畳、2畳(いろり部屋)の田の字型の農事小屋のようなものでした。)
明治6年自らが遣韓使節として赴く願いが叶えられず、帰郷した西郷隆盛は武屋敷に住んでいましたが、面会人を避けるため時々利用していました。
明治10年西郷が「西南の役」に出陣したあと、妻(いと)が11人の家族と生活していた場所でもあります。
この屋敷跡にある山モモや大名竹は西郷が植えたともいわれています。
【現地案内板より】

住所 鹿児島県鹿児島市西別府町2783
    地図
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