龍潭寺

側室 里和の文塚・・・彦根藩15代藩主 井伊直弼の側室であり、16代藩主 井伊直憲の生母である里和の文塚。

彦根御前の墓・・・直弼公ご生母 要妙院は美貌の賢婦人として知られ、立ち居振る舞いは優雅で絶世の佳人であったといわれている。
           このようなご生母富子の方を、藩中の人々は「彦根御前」と云う敬称で呼びはじめた。「御前」と云う尊称で呼ばれたのは数多い井伊家側室の中でも要妙院一人である。
           文政2年(1819年)2月26日35才を一期として惜しまれて世を去った。時に鉄三郎(後の大老直弼)は5才であった。
           天保12年(1841年)要妙院の二十三回忌法要に直弼が生母の墓に詣でた時、墓碑の後ろにあった松の木を見上げ、亡き母を偲んで詠んだ歌
           そのかみの 煙とともに 消もせで つれなく立てる 松ぞわびしき
           残らずば 誰をなげきの 友と見む つれなき松も むつまじきかな
           【現地案内板より】

住所 滋賀県彦根市古沢町1104
    地図
側室 里和の文塚 側室 里和の文塚
彦根御前の墓 彦根御前の墓
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