江戸時代に朱子学をもって徳川幕府に仕えた林羅山の一族、子孫の墓所。
毎年11月3日頃に特別公開される。
林復斎・・・幕臣。林大学頭家11代当主。
林大学頭家7代当主 林述斎の六男として生まれ文化4年(1807年)第二林家 林琴山の養子となり後に第二林家7代当主となる。
文政7年(1824年)書物奉行となり、二ノ丸留守居、西丸留守居、学問所御用などを歴任する。嘉永6年(1853年)林大学頭家10代当主 林壮軒が死去し林大学頭家11代当主となる。
嘉永7年(1854年)応接掛となり再来したアメリカ合衆国東インド艦隊と交渉を行い日米和親条約や下田条約を締結させる。
寛政12年(1800年)誕生。安政6年(1859年)9月17日死去。
林鴬渓・・・幕臣。第二林家8代当主
林復斎の長男。弘化4年(1847年)幕府儒者見習となる。嘉永6年(1853年)林大学頭家10代当主 林壮軒が死去し父 林復斎が林大学頭家11代当主となる事により第二林家8代当主となる。
安政6年(1859年)西丸留守居となる。明治元年(1868年)明治維新により職を辞す。
文政6年(1823年)5月1日誕生。明治7年(1874年)1月10日死去。
林学斎・・・幕臣。林大学頭家12代当主。
林復斎の次男。安政6年(1859年)父 林復斎が死去し林大学頭家12代当主となる。
元治元年(1864年)江戸城 紅葉山文庫に保管されている諸外国との条約文書の保管に関して外国奉行 竹本正雅と対立し外国との条約文書は外国奉行が管理する事となる。
明治維新後は徳川家の静岡藩移封に同行する。明治7年(1874年)東京に戻り、司法省明法権大属になる。
明治10年(1877年)以降は群馬県師範学校教諭、群馬県女学校校長、日光東照宮禰宜などを務める。
天保4年(1833年)10月1日誕生。明治39年(1906年)7月14日死去。
住所 東京都新宿区市谷山伏町1−15
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