蓮泉寺

護法有志の墓
明治4年(1871年)3月9日の大浜騒動の主唱者である蓮泉寺の石川台嶺〔天保14年(1873年~明治4年(1871年)〕が火葬された場所に、殉教者の分骨塚として建てられた墓碑です。
大浜騒動とは明治新政府の神道国教化政策への不満とキリスト教浸透に対する危機感を抱いた東本願寺下の寺院僧侶と門戸の集団が、
大浜周辺(現碧南市)を飛地支配していた上総国菊間藩(現千葉県市原市)の役人と鷲塚(現碧南市)で交渉した際、役人1人を殺害してしまった事件です。
名称は藩の出張所が大浜にあったことに由来し鷲塚騒動、菊間藩事件とも呼ばれます。
当時、台嶺は28歳ながら専修坊(現高浜市・真宗大谷派)の星川法沢らとともに三河護法会を結成し、幹事を務めていました。
台嶺は事件後逮捕され裁判の後、騒動同年の12月27日に斬首されました。実刑とされた僧侶は台嶺を含め32人、門徒百姓8人でした。
明治16年(1883年)に東本願寺は台嶺の行動を護法と認め、明治20年(1887年)の台嶺17回忌に本墓碑が建てられました。
明治22年(1889年)の大日本帝国憲法発布に伴う大赦により関係者の罪が許され、名誉回復が図られました。
【現地案内版より】

住所 愛知県安城市小川町志茂339
地図
護法有志の墓 護法有志の墓
護法有志の墓 案内