大塚先儒墓所
古賀茶渓・・・儒学者。幕臣。
通称は謹一郎。江戸昌平黌の儒学者 古賀侗庵の子として誕生。幼少より漢籍に通じ、天保7年(1836年)に幕府へ出仕し、弘化3年(1846年)に昌平黌儒者となる。
儒者でありながら洋学の必要性を早くから感じ、漢訳蘭書を独学し西洋事情に通じ、嘉永6年(1853年)ロシアのプチャーチン来航に応接掛として交渉に参加し、日露和親条約締結に関与した。
西洋の学問受容の遅れに危機感を抱き、老中阿部正弘に洋学所設立などを建白し、安政2年(1855年)洋学所頭取となり、安政4年(1857年)蕃書調所を創設し頭取に任命される。
文久2年(1862年)に解任され、慶応2年(1866年)製鉄所奉行並に就任。
明治維新後は徳川家と共に静岡へ移住し、明治6年(1873年)東京に戻った後は研究生活を送り、徳川家康の月命日の17日には必ず上野東照宮を拝した。
文化13年(1816年)11月11日誕生。明治17年(1884年)10月31日死去。
住所 東京都文京区大塚5丁目23−1
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古賀茶渓 |
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