太田落雁

天保4年(1833年)に水戸9代藩主徳川斉昭(烈公)が、領内の景勝地を巡視し選定されたものである。
水戸八景設定の大きな目的は、藩内の子弟に八景巡りをすすめて、自然鑑賞と心身の鍛錬とを図るためにあった。
太田落雁は、その一つである。阿武隈の連山を背景とした稔りの秋の素晴らしい眺めや雁が刈田に降りる情景を公は、
さして行く 越路の雁の 越えかねて 太田の面に しばしやすらふ
と詠み、太田落雁と命名された。碑の大文字は烈公の書で、その書体は水戸八分といわれ「大」は「太」の古字である。
また付近に湧井があるが、これはもとの太田御殿の「お茶の水」として使われ今に伝える名水である。
【現地案内版より】

住所 茨城県常陸太田市栄町2472 周辺
地図
太田落雁 太田落雁 景色
太田落雁 景色 太田落雁 景色
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