大久保利通像
大久保利通・・・薩摩藩士。政治家。嘉永3年(1850年)お由羅騒動に連座し免職となる。島津斉彬が藩主に就くと謹慎を解かれ嘉永6年(1853年)に復職する。
藩主 島津斉彬の死後、西郷隆盛らと共に公武合体を目指し藩論をまとめ、後に討幕へと導く。
維新後は明治2年7月22日に参議に就任し廃藩置県、版籍奉還など数々の改革を行う。明治4年に大蔵卿に就任し、欧米派遣全権副使として欧米を周遊する。
欧米周遊中に国内では西郷隆盛や板垣退助などが朝鮮出兵を主張し、帰国した大久保利通や岩倉具視などと征韓論で対立。
明治6年に西郷隆盛らを失脚させ内政確立を優先した政治のため、内務省を設置して初代内務卿兼参議となる。
明治7年2月に佐賀の乱では鎮台兵を率いて鎮圧させ、明治10年の西南戦争では京都にて政府軍を指揮し鎮圧。
明治11年5月14日、紀尾井坂にて不平士族6名に襲撃され横死する。
天保元年(1830年)8月10日誕生。明治11年5月14日紀尾井坂の変で暗殺。
住所 鹿児島県鹿児島市西千石町1−1 周辺