乃木希典将軍像
乃木希典・・・長府藩士。陸軍大将。学習院長。
江戸長府藩上屋敷で乃木希次の三男として誕生。安政5年(1858年)父の処分に伴い長府へ移住。
元治元年(1864年)3月に出奔し萩で玉木文之進に師事し、9月から萩藩校明倫館学ぶ。慶応元年(1865年)長府藩報国隊に属し第二次長州征討に従軍。
慶応4年(1868年)1月、報国隊漢学助教となり12月に伏見の御親兵営でフランス式訓練を学ぶ。明治4年(1871年)陸軍少佐に任官。
明治8年(1875年)西南戦争が起き兵を率いて植木町で薩摩軍と戦い連隊旗を奪われてしまう。
明治17年(1884年)少将に昇進。明治20年(1887年)1月~明治21年(1888年)6月までドイツに留学。
明治27年(1894年)~明治28年(1895年)日清戦争で旅順攻略などで武功。明治29年(1896年)~明治30年(1897年)台湾総督を務める。
明治37年(1904年)~明治38年(1905年)日露戦争で旅順要塞陥落。ステッセル将軍との「水師営の会見」での寛大な対応が世界的に称賛される。
明治40年(1907年)学習院長に就任。昭和天皇(裕仁親王)の教育係となる。大正元年(1912年)9月13日、明治天皇の大喪の日に妻 静子と共に自刃。
嘉永2年(1849年)11月11日生まれ。 大正元年(1912年)9月13日
住所 愛知県蒲郡市三谷町鳶欠14−18
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乃木希典 |
乃木希典 |
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| 乃木夫妻 歌碑 |
乃木希典 碑 |
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| 乃木希典 |
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