新渡戸記念館
新渡戸傳、長男 新渡戸十次郎、孫 七郎の三代にわたる三本木原開拓の資料、遺品と新渡戸稲造の資料などを展示している。
記念館東側は太素塚と呼び、新渡戸傳、新渡戸十次郎、新渡戸稲造の墓所となっている。
新渡戸傳・・・44歳まで材木商として商人であった。盛岡藩に任官後は藩内各地の開拓事業に成功。
安政2年(1855)新田御用掛として三本木原の開拓事業に着手。明治2年に七戸藩が立藩され家老に就任。のち大参事となる。
寛政5年(1793)11月7日生誕。明治4年9月27日死去。
新渡戸十次郎・・・盛岡藩目付、勘定奉行などを務め、安政2年(1855)から父 新渡戸傳と共に三本木原開拓事業に着手。
文久2年(1862)江戸詰め勘定奉行、元治元年(1864)鉄鉱山掛として大阪、京都に赴く。慶応2年(1866)三本木原開拓に従事。
慶応3年(1868)京都で諸藩有志と元治元年に国事を議したとの讒言を受け蟄居となるが、後に許される。
文政3年(1820)6月11日生誕。慶応3年(1868)12月29日病死。
新渡戸稲造・・・新渡戸十次郎の三男。国際連盟事務次長などを務める。
文久2年(1862)8月8日生誕。昭和8年10月15日死去。
住所 青森県十和田市東三番町24−1
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新渡戸記念館 |
新渡戸記念館 案内 |
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新渡戸傳 |
新渡戸傳 |
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太素塚 案内 |
新渡戸十次郎 |
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新渡戸十次郎 右面 |
新渡戸十次郎 墓碑 |
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新渡戸十次郎 |
新渡戸稲造 |
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新渡戸稲造 右面 |
新渡戸稲造 |
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太素塚 |
顕彰堂 |
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照瑶堂 |
照瑶堂 案内 |
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新渡戸傳 |
新渡戸傳 案内 |
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新渡戸十次郎 |
新渡戸十次郎 案内 |
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新渡戸稲造 |
新渡戸稲造 案内 |
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三本木原開拓記念碑 |
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