南洲庵

明治の元勲、西郷隆盛は幾度も鹿屋の地を訪れた。その宿泊所は高須町・高須川沿いの田中吉右衛門の宅であった。
この南洲庵はその吉右衛門の孫にあたる田中陽蔵氏のご厚意により隆盛翁が宿泊されたその家財の一部を使い、よく狩猟をされたというここ霧島ヶ丘の地に茶室として建築したものである。
隆盛翁がこの家に宿られたのは当時この家が一番大きくて立派であった事。鹿児島から舟で来ると便利であった事。
当主の吉右衛門なる者が大骨肥満、風貌、性格が南洲翁に似た人でよく話が合ったからであろう。と伝えられている。
翁は当地・この家を拠点として近隣の山野に狩猟され、また遠く高山・根占・大根占の地へも足を運ばれたという。
山野における翁は、その体の大きさに似ず、誠に敏捷でこちらの丘にあるかと思えば向うの丘にあるという風で、供人も後からついてゆけぬ程速かったという。
ここ霧島ヶ丘を狭しと「翔ぶが如く」走駆する大西郷の姿が目に浮かぶようである。
【現地案内板より】

住所 鹿児島県鹿屋市浜田町1250(霧島ヶ丘公園)
    地図
南洲庵 南洲庵
西郷隆盛利用の手水鉢 西郷隆盛利用の和ダンス
南洲庵と鹿屋における西郷隆盛 案内