七ツ島
文久3年(1863年)薩英戦争の時にイギリス艦隊が往復ともに停泊しており、薩摩軍は海岸の松林に潜んでイギリス軍の上陸を待ち構えていた。
大小7つの島があった風光明媚な海岸で幕末の歌人 八田知紀は「ちはやふる 神やとりけん 七つ子の その石なこの なれる島はも」と歌を残している。
現在は一番大きかった父島のみが残されている。
住所 鹿児島県鹿児島市七ツ島1丁目53
父島
七つ島
七ツ島歌碑
七ツ島保存記念碑
七ツ島 案内