中野村庄屋の家

中野村庄屋の家で、屋号を本酒屋といいました。文久元年(1861年)皇女和宮が降嫁し、中山道を通って江戸へ下る事になりました。その準備に中山道の各宿場はおおわらわでした。
当時、大湫宿の助郷村であった野井村が、和宮が通行するという事で岩村藩代官より強制的に賄役につかせられました。
この事を不満に感じた野井村百姓代熊崎新三郎は和宮の通行が終わった後、中野村庄屋宅に滞在していた岩村藩代官吉田泰蔵に斬りつけました。
これは後に事件となりましたが、代官による強制的な賄役の負担が野井村の今後の慣例となる事を恐れた野井村は岩村藩相手に裁判に訴えました。
最終的には野井村の勝訴となり代官は罷免され、野井村に金25両が下付されました。
【現地案内板より】

住所 岐阜県恵那市長島町中野623−1
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中野村庄屋の家 中野村庄屋の家 案内