中根堂山共同墓所
福島藩士の墓は元治甲子の乱の際、幕府軍の援軍として参加した奥州福島藩、三万石板倉内膳正の家臣の墓である。
碑には10月10日奥州福島板倉臣戦死連名と刻まれており、元治元年(1861年)10月10日に戦死したことが明らかである。
元治甲子の乱は、幕末水戸藩と二分する戦であるが、その中でも部田野の戦いは激戦地の一つであった。
中根城跡には二本松藩士や福島藩士が駐屯していたため、はじめ戦死者の遺骸を中根城跡近くに埋葬したが、のちに現在の堂山共同墓地に改葬したものである。
【現地 碑より】
住所 茨城県ひたちなか市中根1430
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福島藩士の墓 |
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中根堂山共同墓所 |
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