中原猶介翁宅址碑

中原猶介が誕生した地。

中原猶介・・・薩摩藩士。嘉永2年(1849年)長崎に留学しオランダ人より蘭学を学ぶ。藩主 島津斉彬の目に留まり集成館事業、軍艦建造、反射炉築造、薩摩切子製作など薩摩藩の洋式産業に携わる。
        島津斉彬の死後に江戸へ留学し江川塾に入門し塾頭も務める。元治元年の禁門の変では軍賦役、大砲隊長。慶応2年(1866年)の長州再征伐では長崎で武器購入を担当。
        慶応3年(1867年)のイギリス公使の薩摩訪問時には接待役。
        慶応4年(1868年)の戊辰戦争では一番大砲隊長を務め、7月の北越戦争で長岡藩と戦闘中に敵弾を右足に受け8月7日に柏崎病院で死亡。
        天保3年4月8日誕生。慶応4年8月7日死去。

住所 鹿児島県鹿児島市上之園町23−1(甲南高校)
    地図
中原猶介翁宅址碑 中原猶介翁宅址碑