妙西寺
牧正道・・・下館藩士。
下館藩士 牧正供の子として誕生。嘉永4年(1851年)御用人格末席に就任し、嘉永6年(1853年)家督を相続し年寄上座となる。
元治元年(1864年)8月29日に水戸天狗党討伐に藩兵250名を率いて出陣する。明治2年(1869年)長男の正寛に家督を相続し隠居する。
天保9年(1838年)誕生。大正2年(1913年)5月23日死去。
上牧正栄・・・下館藩士。
下館藩城代家老 牧正達の三男として誕生。天保6年(1835年)家督を相続し年寄上座となる。
天保9年(1838年)政治向勝手掛となり、二宮尊徳の農村復興政策を実施し藩財政を立て直す。天保12年(1841年)下館藩8代藩主石川総貨の大阪城御加番に供奉する。
天保13年(1842年)苗字を上牧に改称する。弘化2年(1845年)家督を正徳に譲り隠居する。
寛政元年(1789年)誕生。明治9年(1876年)1月3日死去。
上牧正徳・・・下館藩士。
弘化2年(1845年)家督を相続し広間取次に就任。郡奉行、用人役勝手方頭取、軍事方と進む。 元治元年(1864年)8月29日に水戸天狗党討伐に出陣する。
慶応4年(1868年)7月18日、下館藩軍務方頭取に任命され明治2年(1869年)参政と会計掛家知事を兼任する。明治4年(1871年)軍務局輜重司となり大属と社寺民政掛も兼任する。
明治7年(1874年)小学区取締となり中学取締、副区長、真壁郡書記などを歴任する。
天保9年(1838年)誕生。明治14年(1881年)7月26日死去。
磯山清兵衛・・・自由民権運動家。
常陸国潮来村で生まれ、明治12年(1879年)頃から自由民権運動に参加し、関戸覚蔵らと共に公益民会を組織し国会開設懇願運動に奔走する。
明治17年(1884年)東京で有一館設立に関わり自由党過激派と交流する。明治18年(1885年)大井憲太郎らと大坂事件に連座し服役し明治22年(1889年)に出獄する。
嘉永5年(1852年)誕生。明治24年(1891年)11月21日死去。
加波山事件志士の碑
明治17年(1884年)9月23日、下館の民権家、富松正安、保多駒吉、玉水嘉一と福島、栃木、愛知の「民権家16人の志士」が加波山に決起し、山頂に「自由立憲」の旗をかかげた事件である。
これは維新後十余年を経過してなお国会が開かれず、明治政府の圧政に抗し「立憲政府樹立と自由と民主主義」を願った行動であった。
決起は失敗に終り、政府の不当な罪状をもって厳科に処せられる結果に終った。
事件後、百数十年を経た今日、志士の高邁な行動は、国民の広く認めるところとなり、志士の目指した「平和と民主主義」は現在、 国民生活の中に定着しました。
因みに明治22年(1889年)に大日本憲法が制定されましたが事件のもつ歴史的意義は極めて大きく、高く評価されています。墓は妙西寺の門前墓地の入口にあり、四基の角柱が並んでいる。
石碑は平尾八十吉、富松正安、保多駒吉、玉水嘉一の墓と刻まれ、裏面に没した年月日がある。碑の右側には墓碑建設賛助者の名を刻んだ志表と、左側に「玉水嘉一翁顕彰碑」がある。
【現地案内版より】
住所 茨城県筑西市乙666
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牧正道 |
牧正道 |
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| 上牧正栄 |
上牧正栄 右面 |
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| 上牧正徳 |
上牧正徳 右面 |
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| 上牧正徳 左面 |
上牧家墓所 |
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| 磯山清兵衛 |
加波山事件志士の墓 |
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| 玉水嘉一翁顕彰碑 |
志表の碑 |
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| 加波山事件志士の案内 |
妙西寺 |
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