森春濤・森清子・森槐南

森春濤・・・漢詩人。
尾張一宮の医者 森一鳥の子として誕生。幼少期から医学よりも文学に傾倒し浄瑠璃や詩書に親しみ、鷲津益斎に入門し大沼枕山と出会い互いに切磋琢磨する。
梁川星巌門下となり各地を遊歴しつつ詩作を深める。明治7年(1874年)東京へ移住し茉莉吟社を結成して詩壇の中心的存在となる。
月刊誌「新文詩」を刊行し、さらに「東京才人絶句」を編纂して大きな評価を得た。清朝詩の紹介にも尽力し多くの門弟を育てた。
文政2年(1819年)4月2日誕生。明治22年(1889年)11月21日死去。

森清子・・・漢詩人。
美濃国出身で、本姓は国島。京都で松田直兄、伊勢で鬼島広蔭に学び、和歌の素養を深めた。
森春濤の後妻となり、名古屋で和歌を教えつつ家庭を支えた。歌集「庭すずめ」を残す。
天保4年(1833年)誕生。明治5年(1872年)2月13日死去。

森槐南 ・・・漢詩人。
名古屋で父・森春濤、母・森清子という文学的環境のもとで育ち、鷲津毅堂と三島中洲に学び詩才を磨きつつ官界に進む。
宮内省では秘書官、図書寮編集官、式部官などを務め、東京帝国大学で文化大学講師として中国文学を講じた。
随鴎詩社を主宰し明治期漢文学の中心的存在として多くの門弟を育てた。
明治42年(1909年)10月26日、伊藤博文暗殺事件では秘書官として同行し被弾し軽傷を負う。伊藤博文の最期の言葉は「森もやられたか」である。
文久3年(1863年)11月16日誕生。明治44年(1911年)3月7日死去。

住所 東京都府中市多磨町4丁目628 多磨霊園 14区1種3側3番
地図
森春濤 森清子
森槐南 森家墓所