美玉三平
美玉三平・・・薩摩藩士。
安政7年(1860年)清川八郎が結成した「虎尾の会」に加盟し尊王攘夷運動を行う。文久2年(1862年)京都寺田屋事件で鎮撫使が討ち入った際には2階におり逃亡する。
後に長州まで逃れ、そこで川上弥市らと出会い尊王攘夷の兵を挙げるために奔走。
文久3年(1863年)但馬生野において公卿 澤宣嘉を総帥とし、美玉三平も節制方として挙兵(生野の変)
敗れて播州木之谷に逃れていた所を農民に襲撃され射殺された。
文政5年(1822年)誕生。文久3年(1863年)10月14日死去。
住所 鹿児島県鹿児島市南林寺町23−22(南林寺)
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美玉三平 |
美玉三平 左面 |
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美玉三平 裏面 |
美玉三平 |
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