松方正義の墓

松方正義・・・薩摩藩士。政治家。嘉永3年(1850年)16歳で大番頭座書役となり出仕。文久2年(1862年)島津久光の側近として上洛、上京。京都にて寺田屋事件、生麦村にて生麦事件に遭遇。
        慶応2年(1866年)軍務局海軍方の御船奉行添役兼御軍艦掛に任命される。慶応3年(1867年)軍賦役兼勤として軍艦購入の為に鹿児島と長崎を行き来し、
        長崎滞在中に戊辰戦争が始まり長崎の治安維持にあたる。維新後は長崎裁判所参議、日田県知事、民部大丞を勤め大蔵省に入省し地租改正などにあたる。
        明治10年の西南戦争における戦費整理で大蔵卿 大隈重信と対立し内務卿に転出となる。明治14年「財政議」を提出し中央銀行設立を提案し、参議兼大蔵卿として日本銀行を創設。
        大蔵卿として西南戦争戦費整理によるインフレを治める為に「松方デフレ」を引き起こすも財政問題を解決する。
        明治18年第1次伊藤内閣において初代大蔵大臣に就任。後に3、5、8代の大蔵大臣に就任し、内閣総理大臣を2度、内務大臣と内大臣を1度などと功績を残す。
         天保6年(1835年)2月25日誕生。大正13年7月2日死去。

住所 東京都港区南青山2丁目32−2 青山霊園1種ロ17-1
松方正義の墓 妻 松方満佐子の墓
松方家墓所