湖東焼窯場跡

湖東焼は文化12年(1829年)に城下の商人絹屋半兵衛たちにより始められ、12代藩主直亮の時に彦根藩の御用窯となった。窯場は当初芹川左岸の晒山に築かれたが、翌年には餅木谷の当所に移築された。
藩窯化以降、窯場は整備され直弼の時代に黄金期を迎え、高級品生産が定着するとともに、製品銘も「湖東」の二字に統一された。
しかし、桜田門外の変(1860年)以後は藩が苦境に立ち、その2年後の直憲の代に藩窯としての歴史を閉じた。その後は山口喜平により民窯として明治28年まで細々と存続した。
焼物は磁器を中心に染付、金襴手、赤絵、青磁など細やかで美しい製品を世に送り出している。
窯跡は連房式登窯で、他に工房跡・素焼窯跡などが良好に残り、近世産業史の中で藩窯の実態を示すものとして貴重な遺構である。
【現地案内板より】

住所 滋賀県彦根市古沢町870−1 周辺
    地図
湖東焼窯場跡 湖東焼窯場跡 案内