興正寺

中村修・・・尾張藩士。名古屋市長。
藩儒 細野要斎に学ぶ。尊王攘夷の建白書を藩に提出する。慶応3年(1867年)、京都留守居役に就任し諸藩志士と交流。明治維新では藩論を勤王統一する事に貢献。
明治2年(1869年)尾張藩大参事となり廃藩置県後は岡山県権参事となる。明治6年(1873年)宮内省に出仕し各宮家の家事を管理。
明治14年(1881年)司法省に出仕し東京控訴院・函館控訴院の検事を歴任。明治19年(1886年)北海道各郡の郡長として拓殖事業に従事。
明治22年(1889年)市町村制施行に伴い初代名古屋市長に選出され明治23年(1890年)9月11日まで在任。退任後は尾張徳川家の家令、相談役を務める。
天保14年(1844年)11月25日誕生。大正4年(1915年)6月6日死去。

間宮六郎・・・尾張藩士。
12歳で家督相続。用人、大番頭等を経て慶応元年(1865年)年寄加判となる。元治元年(1864年)と慶応2年(1866年)の長州征討にも従軍。明治維新では藩論を勤王統一する事に貢献。
明治2年(1869年)名古屋藩少参事となり藩政改革を行う。明治4年(1871年)廃藩で職を辞し尾張徳川家に仕える。
天保2年(1831年)8月8日誕生。明治35年(1902年)12月26日死去。

青山暘城・・・尾張藩士。書家。
幼少より書を好み「王義之」等を学ぶ。江戸に住んでいたが慶応4年(1868年)藩命で帰郷する。門人は1500余人。
天保3年(1832年)誕生。明治17年(1884年)9月6日死去。

住所 愛知県名古屋市昭和区八事本町78
地図
中村修 中村修 右面
中村修 左面 中村修 裏面
間宮六郎 間宮六郎 裏面
間宮六郎
青山暘城の碑 青山暘城の碑 裏面
青山暘城の碑 興正寺
興正寺