小宮山楓軒屋敷跡
小宮山楓軒の屋敷跡地。
小宮山楓軒・・・水戸藩士。
名は昌秀。立原翠軒に儒学を学ぶ。天明3年(1783年)彰考館で「大日本史」編纂に携わる。
寛政11年(1799年)郡奉行となり農地改革や窮民救済に尽力する。
後に9代藩主 徳川斉昭の側用人や町奉行を勤める。
明和元年(1764年)誕生。天保11年(1840年)4月4日死去。
住所 茨城県水戸市城東3丁目1−47(水戸市城東市民センター)
小宮山楓軒屋敷跡
小宮山楓軒屋敷跡
小宮山楓軒屋敷跡