飛騨国分寺

白真弓肥太右衛門・・・力士。白川郷木谷部落出身。江戸へ出る際に山岡鉄舟と共に上京したと伝わる。嘉永6年(1853年)11月場所で初土俵。
              身長208cm体重152kgの堂々とした体躯で嘉永7年(1854年)ペリー来航時に薪水米殻の運搬奉仕をし、
              米の運搬時に背に4俵、胸に2俵、両手に1俵の計8俵を一度に運びアメリカ人を驚かせた。最高位は西前頭筆頭で現役中の明治元年11月9日に病死した。
              文政12年(1829年)誕生。明治元年11月9日死去。
押上美喬・・・郡中会所書役。明治元年に飛騨郡代が逃亡した際には混乱を収拾し郡上藩による取締を排除し、東山道鎮撫使による支配を実現させた。明治2年の梅村騒動の際には騒動の解決に尽力した。
        文化13年(1816年)4月18日誕生。明治2年6月5日死去。
押上美香・・・地役人。明治元年に飛騨郡代が逃亡した際の混乱を父である押上美喬を補佐し混乱を収拾した。
        天保6年(1835年)5月1日誕生。明治10年8月4日死去。

住所 岐阜県高山市総和町1丁目83
     地図
白真弓肥太右衛門 白真弓肥太右衛門
白真弓肥太右衛門 案内 押上美喬・美香
国分寺本堂 国分寺本堂 案内
国分寺表門 国分寺表門 案内
国分寺 案内