光源寺
甲賀源吾・・・幕臣。掛川藩士。掛川藩江戸屋敷で生まれ、安政2年(1855年)佐倉藩士の木村軍太郎に兵学と蘭学を学び、安政5年(1858年)築地軍艦操練所で航海術を学ぶ。
安政6年(1859年)軍艦操練所教授出役を任じられ幕臣となる。掛川藩では馬廻格50俵3人扶持で江戸詰の待遇とした。
文久3年(1863年)5月、御軍監組となり御目見以上の格式を得る。元治元年(1864年)第一次長州征討に従軍。
慶応2年(1866年)軍艦頭となり、慶応3年(1867年)小十人格軍艦役勤方となり、同年11月には操練所軍艦役となる。
戊辰戦争では慶応4年8月19日に榎本武揚らと共に回転丸艦長として江戸を出航。東軍を収容しながら函館に行く。
函館戦争を戦い明治2年3月26日の宮古湾海戦で接舷攻撃を行い、敵兵にこめかみを撃たれ戦死。
天保10年(1839年)1月3日誕生。明治2年3月25日宮古湾で戦死。享年31歳。
住所 東京都文京区向丘2丁目38−22