光福寺
水野甚四郎・・・結城藩江戸家老。
安政3年(1856年)江戸家老に就任。佐幕の方針を取り国許が小場兵馬を筆頭に恭順派であった為、
慶応4年(1868年)3月26日に藩主 水野勝知と共に結城城を攻撃し占拠したが、後に捕えられ光福寺で切腹した。
明治2年(1869年)4月7日死去。
上田楠次・・・土佐出身の勤王家。
間崎滄浪に学問を学び、土佐勤王党に参加。文久2年(1862年)頃に江戸に出て諸藩志士と交流する。
文久3年(1863年)から始まった土佐勤王党の獄では禁錮処分となる。慶応4年(1868年)の戊辰戦争では迅衝隊に所属。
下総流山では新選組局長 近藤勇を説得して投降させる。同年4月18日、小山の戦いで戦死。
天保8年(1837年)12月誕生。慶応4年(1868年)4月18日戦死。
土屋要助 慶永・・・須坂藩士。
慶応4年(1868年)4月16日。下野 茂呂村で戦死。
住所 茨城県結城市結城1394
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水野甚四郎 |
水野甚四郎 |
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上田楠次 |
土屋要助 |
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上田楠次と土屋要助の墓所 |
光福寺 |
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結城城跡 案内 |
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