賀屋明・賀屋忠恕・賀屋鎌子
賀屋明・・・広島藩士。心学者。
天保12年(1829年)家督を相続。安政5年(1858年)内証分家御用達役に就任。文久元年(1861年)御住居附広敷御用人に就任。
慶応4年(1868年)広島に帰国し明治2年(1869年)公用人に任命される。弟 忠恕と共に教導活動を行い明治17年(1884年)新宮教広島区内教徒取締となる。
文政8年(1825年)誕生。明治31年(1898年)6月死去。
賀屋忠恕・・・広島藩士。心学者。
江戸広島藩邸向屋敷で誕生。平野橘翁の参前舎で石門心学を学ぶ。慶応4年(1868年)広島に帰国し心学講舎歓心舎の4代舎主となる。
明治維新後は藩命により領内を巡回して教導を行う。明治5年(1872年)教部省嘱託訓導職に任命され、明治15年(1882年)新宮教会総理となる。
天保9年(1838年)4月誕生。明治17年(1884年)11月死去。
賀屋鎌子・・・心学者。社会事業家。
江戸青山で賀屋明の子として誕生。幼少より読書・習字・裁縫を学び広島最初の女紅場「玉瑛舎」で教鞭を取る。のち漢学・皇学・心学を修めて神宮教に入り藤井稜威と結婚して二子を育て、
夫の死後は賀屋家に復籍して愛国婦人会・広島慈善会・平和会など県内外で講演を重ね民衆教化と慈善活動に尽力。
文久3年(1863年)2月誕生。大正4年(1915年)4月死去。
住所 東京都府中市多磨町4丁目628 多磨霊園 9区1種1側8番
| |
賀屋明・賀屋忠恕・賀屋鎌子 |
賀屋家墓所 |
|
 |
 |