河田景与

河田景与・・・鳥取藩士。官僚。
文政11年(1828年)鳥取藩士 河田介景の子として誕生。嘉永4年(1851年)家督を継ぎ伏見留守居役に就任。
文久3年(1863年)京都留守居役を兼任となり長州藩の桂小五郎らと連携し尊攘運動に関わり同年8月17日に同士22名と本圀寺を襲撃し側用人4名を斬殺する本圀寺事件を主導。
元治元年(1864年)長州藩が禁門の変を起こすと尊王攘夷派として幽閉処分となる。慶応2年(1866年)第二次幕長戦争が勃発すると長州藩へ脱藩する。
慶応3年(1867年)12月、王政復古により帰藩し鳥取藩参謀兼山国隊隊長として甲州勝沼の戦いから東北各地を転戦。
明治元年(1868年)10月21日に東京へ凱旋し10月28日に甲斐府判事に任命。
軍務官判事、京都府大参事、福岡藩大参事などを経て明治4年(1871年)鳥取県権令に就任。のちに元老院議官、貴族院子爵議員を務める。
文政11年(1828年)10月18日誕生。明治30年(1897年)10月12日死去。

住所 東京都府中市多磨町4丁目628 多磨霊園 11区1種12側
地図
河田景与 河田家墓所