川村純義
川村純義・・・薩摩藩士。海軍軍人。
安政2年(1855年)長崎海軍伝習所に入り航海術を学ぶ。慶応4年(1868年)の戊辰戦争では薩摩藩城下四番隊長として各地を転戦。
明治7年(1874年)海軍中将兼海軍大輔に就任。西南戦争開戦前に西郷隆盛説得の為、鹿児島に戻ったが西郷隆盛には会う事が出来ず、
鹿児島県令 大山綱良と会談するも開戦を止める事が出来なかった。西南戦争では征討参軍総司令官として参戦。西南戦争後は参議兼海軍卿として海軍の基礎を築く。
後に宮中顧問官、枢密顧問官、昭和天皇養育主任を務める。明治37年(1904年)8月12日の死去にあたって海軍大将となる。戦死ではなく死去で海軍大将に任じられたのは川村純義のみである。
天保7年(1836年)11月11日誕生。明治37年(1904年)8月12日死去。
川村春子・・・川村純義の妻。
御養育掛となった夫 川村純義と共に迪宮裕仁親王(後の昭和天皇)と淳宮親王(後の秩父宮雍仁親王)を明治37年(1904年)11月9日まで育てる。
弘化2年(1845年)誕生。昭和5年(1930年)5月27日死去。
住所 東京都府中市多磨町4丁目628 多磨霊園 11区1種2側6番
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川村純義 |
川村純義 裏面 |
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| 川村春子 |
川村春子 裏面 |
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| 川村夫妻の墓 |
川村純義 碑 |
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| 川村家墓所 |
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