川路寛堂

川路寛堂・・・幕臣。官僚。教育者。
幕臣 川路彰常の長男として生まれたが、2歳で父と死別し大叔父の井上清直に引き取られる。
嘉永4年(1851年)奈良から江戸へ異動となった祖父 川路聖謨に引き取られ剣術、漢学、蘭学、英仏語など多様な教育を受ける。
安政3年(1856年)小姓組に入り小納戸、陸軍歩兵頭並と務める。慶応2年(1866年)イギリス留学を命じられロンドンで英語を学び、徳川昭武の欧州訪問の事前準備を行う。
慶応4年(1868年)大政奉還の知らせを受け6月25日に帰国。すると祖父の川路聖謨は3月15日にピストル自殺をしていた。
明治4年(1871年)大蔵省に出仕し書記官として岩倉使節団に随行し、帰国後は財政、土木、簿記制度、貨幣制度改革などに従事し明治10年(1877年)に退官。
明治18年(1885年)から教育者となり福山尋常中学校、洲本中学校、淡路高等女学校、松蔭女学校などで英語・修身・歴史などの教諭、校長などを務めた。
弘化元年(1844年)12月21日誕生。昭和2年(1927年)2月5日死去。

住所 東京都府中市多磨町4丁目628 多磨霊園 10区1種14側12番
地図
川路寛堂 川路家墓所