川路大警視像

川路利良・・・薩摩藩士。大警視。元治元年(1864年)7月19日、禁門の変で長州藩遊撃隊総督 来島又兵衛を狙撃し戦功をあげる。
        慶応3年(1867年)薩摩藩兵具方一番小隊長に任命され戊辰戦争では奥羽地方を転戦。戊辰戦争の戦功により明治2年薩摩藩兵器奉行に就任。
        明治5年、邏卒総長に就任し、警察制度調査の為に渡欧し欧州各国の警察を視察調査する。
        帰国後、フランス警察大臣 ジョゼフ・フーシェに範をとって警察制度を創立し、明治7年、警視庁創設に伴い初代大警視に就任。
        征韓論争で下野した西郷隆盛や薩摩士族の動向を探るため薩摩藩出身者 中原尚雄らを鹿児島に帰郷させたが私学校生徒に捕らえられ西南戦争勃発の一因となる。
        明治10年の西南戦争では陸軍少将を兼任し警視隊を率いて活躍する。
        明治11年5月14日、大久保利通が暗殺された紀尾井坂の変では、大久保利通暗殺計画及び計画者である石川県士族など6名も把握していたが
        「石川県人に何が出来るか」と行動せず大久保利通の葬儀翌日に進退伺を提出し却下された。
        明治12年1月に欧州に再渡航したが行きの船内で病となり、病状も良くならない為に10月8日に帰国。帰国後、病状悪化し10月13日に死去。
        天保5年(1834年)5月11日誕生。明治12年10月13日死去。

住所 鹿児島県鹿児島市鴨池新町10−1
    地図
川路大警視像 川路大警視像
川路利良 案内 川路大警視像