川端霊園

大矢東吉・・・棋士。
大矢春関の四男として所沢新田(現、所沢新町)に生まれる。幼少から将棋に長じ13歳で初段となる。10代の頃に福泉藤吉の墓前で入門を誓う。
16歳の時に天野宗歩に完敗し諸国を放浪して将棋の腕を磨く。安政6年(1859年)頃には江戸で棋士として活躍し、天野宗歩の将棋番付「将棋力鑑」に西関脇五段と格付けされる。
慶応3年(1867年)大橋宗与から六段の免許を受け、慶応4年(1868年)には「大日本将棋有名集」で西小結に格付けされる。
明治4年(1871年)に所沢に戻り、明治10年(1877年)の東都将棋鑑で大関7段、明治20年(1887年)の武総将棋手相鑑では東大関8段と格付けされる。
文政9年(1826年)誕生。明治25年(1892年)9月30日死去。
墓の場所は文献やホームページなどによって薬王寺、花園霊園、所沢霊園などと記載されていますが、
所沢商工会議所発行2020年12月号「sora」に大矢東吉の墓として師匠である福泉藤吉の墓が載っていましたので明治25年(1892年)に合葬されたと推測し記載しました。

古谷重松・・・重松流囃子創始者。商人。
所沢植宿で麹や藍玉を商う商家に生まれる。大國魂神社で笛を修行し江戸囃子を元に改良して重松流祭囃子を生み出す。
行商で各地に赴き、先々で重松流囃子を伝授する。
天保元年(1830年)3月17日誕生。明治24年(1891年)2月3日死去。

住所 埼玉県所沢市御幸町8−14
地図
大矢東吉 大矢東吉
古谷重松 古谷重松
古谷重松 案内 川端霊園